福島県在住ライターが綴る あんなこと こんなこと -6ページ目

自分史に関しての師匠 河出理事の動画をご紹介します!

昨年からのお約束や

以前自分史講座をさせていただいた関係者から

新たな自分史の講座開講の打診をいただいてます。

 

そんなこともあり、今は講座・企画作りのお籠もり。

出かけるのが好きな私には難行・苦行でもありますが

これも ご恩ある ふくしまへの貢献と

頑張っています(応援お願い~笑)

 

自分史というと少し前の世代の方々からは

「一定の功績を成し遂げた人が

人生の最後に自分の記録を残すもの」

というイメージが強く

 

あるいは「究極の自費出版物」

つまり、とってもアヤシイ分野のもの

と考えている方が

まだまだ大多数のようです。

 

その思いを覆すために

(社)自分史活用推進協議会ができたと思いますし

また私の自分史においての師匠!

(お母さまが福島県ご出身)

と思っている河出理事のような方が

いらっしゃるのだと思います。

 

自分史の多様さと共に

自分史を残す意味について

河出理事はこうのべています。

 

TEDに参加するにあたっても

実はあるドラマがあったと。

個人的に伺っていますが

これは河出理事とお会いしたときにでも

聞いてください。

 

私の自分史においての師匠

河出理事の発表は コチラからみることができます!

間違えて覚えた言葉は修正するのが難しい

最初に間違えて覚えたまま

なおらない言葉があります。

 

    シュミレーション

        ↓

    (正しくは)

    シミュレーション

 

今朝、似た言葉をタイピングしたあと

ハッとしながら検索をかけました。

 

    シチュエーション

 

よかった!こちらは合っていました。

 

 

 

 

考え方も同じかもしれません。

一時代前の考え方が

現在に通じるかといえばそれは違う。

 

それがわからずに

かつてうまくいった方法が

正しいと思ってやり続ける。

 

今の時代にそぐわないから

うまくいかない。

 

加えてある程度年齢が重なると

若い世代はなにも言わない。

だから孤立する。

 

そうならないように

若い人たちの考えを聞きながら

(聞く耳をもちながら)

何歳になっても成長したいものです。

 

 

 

 

 

 

 

議員を経験した人とか、会社経営者が書くものなのじゃないか?

義母の墓参りに行ったあと

義兄宅に挨拶には一つの目的がありました。

それは…。

 

武田の義両親の「自分史」を作ってほしい

その提案をしたかったのです。

 

あっけにとられたような表情の義兄夫婦を前に

私が手がけたいくつかの自分史を見せながら

現在の自分史状況を説明。

 

つまり冊子の厚さや内容、

発行部数も自由に作れること。

 

かかる費用もいろいろで、

全部自分で作成したかったら

パソコンで作成することだって可能なこと。

 

ビジネスではなく

武田家の一人としての提案であり

文章作成、編集などは私が手伝う。

 

ただし義父母のことを親戚関係に聞く役は

肉親である義兄にしかできないこと。

 

なによりも、私たちの子どもたちに

義父母のことを伝え残したいと。

 

ここまで一気に話したあと

義兄が静かに自分の意見を言った。

その言葉がタイトルです。

 

義兄に続き、義姉までが

「うーん、私は子どもたちに自分のことを

伝え残したいとは思わないわ。

普通の家庭って、そうなんじゃないの」と。

 

義兄夫婦の意見は、もっともであり

それが一般的な家庭の考え方なのだろうなあと。

 

ふだん自分史の世界に

どっぷりつかっている私には

参考になる意見ではありました。

 

…が、さらに言いました。

 

  「お父さんたちが戦争で中国に行ったこと。

 戦後は放射線技師の協会の会長になり

 技師の地位向上に努めたことは、私も知らない。

 そんな義父の仕事のことも我が子に伝えたいんです」

 

と。そしたら私の話を聞いた義姉がひとこと。

 

「そういえばお義父さん、

ほんとはブラジルに行きたかったんだって」

 

 

その話を初めて知った私はびっくり。

改めて義父が生まれた

大正という時代に思いを巡らせました。

 

結局、義父母の自分史の話は

秋の法事の席で改めて話そうということになりました。

 

自分史を作ることの意味や成果は

作った経験がないとわかりません。

 

生きて行くために食料が必要なように

生きるために必要なものでもありません。

 

どちらかというと、

ある程度時間が経って

ふと過去を振り返るときにはじめて

「あって良かった」

「作っておいて良かった」と思うものです。

 

仕上がるまでは大変ですが

時間がかかっても、ボリュームは少なくても

作っておいて、我が子に渡したいなあと思いました。

 

そのきっかけづくりをしただけでも

今回の帰省は価値があったと思っています。

 

 

 

●福島県内に住む11人と1グループの人生を聞き書きした

「人生いろいろ」

●南相馬市の団体が作成した聞き書き集。

そのきっかけづくりのお手伝いをさせていただいた

「語り継ぐ ふるさと南相馬」

●自分史教室の受講生さんが、

講座終了後に作成された冊子「寒椿」

 

 

 

郡山市の飲食店は、なぜ出退店が早いのか? 

義母の命日だったので、

所沢まで墓参りに行きました。

墓参りのあと、義兄宅に挨拶に行く道すがら

懐かしい所沢の道を走ります。

 

年に1回程度しか行かない場所。

けれど懐かしい店があったり

当時小さかった子どもたちを

自転車の後ろに乗せて行った道を思い出したりと

 

福島県民になって

すでに18年がたつ私たちですが

「あのときの」あの店

「このときの」この店

を思い出しながら義兄宅に着きました。

 

18年経っても変わらない店

変わらない町並みがあるのですよね。

 

さて、ここで改めて今住んでいる街

郡山について考えると…。

この街は本当に飲食店の移り変わりが激しいです。

 

そのことを3年前に

ある市民団体の語りの会で話したところ、

ネイティブ郡山市民は

「郡山って都会なんだよね~」

という自己肯定感で盛り上がったのですが

 

商工会関係が主催する起業支援の講師として

よくふくしまにいらしていた

県外在住の中小企業診断士の方だけは

ちょっと顔を曇らせて

「そういうお店に銀行は、お金を融資できませんね」

と言われた。

 

その意味がずっとわからないでいて

先日、とあるネイティブ郡山市民で

お店を経営している方に話したところ

「私もそうですが、そもそも郡山市民は

『都会志向』なんですよ」と言われました。

 

それともちょっと違うような気がしていて

しばらく自分の中で

あたためていた疑問なのですが…。

なんとなく、解が出たように思います。

 

おそらく

 

ネイティブ郡山市民は

とにかく「新しいモノ好き」

 

その気質が

「よそ者を違和感なく受け入れてくれる」

郡山市民気質にも結びつく。

けれど「新しいもの」を十分味わったあとは

飽きてしまって、次に行く。

 

   ・

   ・

   ・

3年ほど前に郡山駅そばにできた

チーズケーキの店。

最初は毎日行列でした。

その店の商品を買うことがトレンドでした。

やがて郊外にあるショッピングモールへの

出店を果たしました。

 

そして現在。

郡山駅そばにあった店は

某ドーナッツチェーン店に変わっています。

ショッピングモールに出店した店にも

購入客の行列は見られません。

 

私自身はマーケティングも

商売のイロハもわかりませんが

おそらく飲食業界では一定の分析・理由付けが

できているのだろうと思います。

 

 

10年くらい前に会津若松市から出た

あるラーメン店がその後

「ラーメン界のマクドナルドを目指す」

という目標をたて

 

郡山市に本社をおき

全国展開していったことは

多くの人が知っています。

( 残念なことに今は業績が低迷しているようですが)

 

飲食店における郡山の厳しさ。

それが「何」によるのか。

それも知りつつ、県内の飲食店が

なぜ郡山出店を目指すのか。

 

マーケティングのイロハはわからないまでも

根拠、理由を知りたいと思う

一郡山市民でありました。

 

私の好きな某そば店です。

なくならないでね~。

 

 

 

 

 

2018年7月大雨・水害に関する災害支援・遠隔地にいる私たちにできること3.

その後の報道関係から

少しずつ現地の様子がわかってきたように思います。

それでも、直接現地にお手伝いに行く時期ではないと。

 

距離から、そして年齢から、現地に行っても

足手まといになるだけだと。

 

情報発信や情報拡散も

遠い福島からのものをどこまで

見る人がいるのか。

 

またどこまで正確なのかを考えるとき

まだ、ここで西日本のみなさんの様子を

祈りながら見ているときだと。

私自身は考えます。

 

    ・

    ・

先日、もう一つ、ある会に寄付させていただきました。

 

この団体の理事長は、広島県のご出身。

縁あって福島県で働く中で震災を経験。

 

以後、ご自身の事業の傍ら、

全国に福島県の良さをアピールされてきた方です。

 

ご自身のふるさとが、このような被害に遭い

心痛めているかと。その心情を考えて

大変小額ですが、寄付させていただきました。

 

以下は、団体の文章をコピペさせていただきます。

 

また、この団体が催されている

あるプロジェクトに参加したときの画像を

最後に貼り付けます。

 

============================

◆西日本豪雨への寄付金の募集について 
============================
  
活発な梅雨前線により、西日本豪雨は各地で被害が拡大し、平成で最悪の状況となっています。
 
西日本にはプロジェクトを応援してくださっている

里親さんがたくさんいらっしゃいます。

そしてそのご家族、大切な方が

たくさんいらっしゃいます。


また、この災害で、

ご自宅が被害に遭われた里親さんも

いらっしゃることが分かりました。
 
この度の大きな災害に於きまして
福島ひまわり里親プロジェクトでは

寄付金を募集させていただきます。


集まった募金は、西日本の里親さんに寄付、

ニーズに合わせて利用していただく予定です。
 
皆さまの暖かいご支援と

ご協力をよろしくお願いいたします。
 
NPO法人チームふくしま 一同
 

【寄付金のお振込み先】
■ゆうちょ銀行
  記号18270 番号1345411
 ※他金融機関からのお振込み
【店名】八二八(ハチニハチ) 
【預金種別】普通 
【口座番号】0134541
【口座名】福島から応援する会
 
■東邦銀行 西福島支店
【預金種別】普通
【口座番号】473144
【口座名】福島から応援する会
 
※口座「福島から応援する会」は

NPO法人チームふくしまの寄付金専用口座です。
※頂いた寄付金は西日本豪雨の災害支援のみで利用させていただきます。
 
この度の西日本豪雨により

お亡くなりになられた方々の
ご冥福をお祈りいたします。
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
 
福島ひまわり里親プロジェクトを通じて、できる事。
福島からできる恩返し。


西日本の被害にあわれた皆さまの

チカラになれればと考えています。
日本全国のひまわりに込められた思いやりを、

西日本へ
  
NPO法人チームふくしま
福島ひまわり里親プロジェクト事務局

▼映像でも呼びかけしております。
https://youtu.be/omq6PhTB7_I

<寄付金に関するお問い合わせ>
http://www.sunflower-fukushima.com/contact

 

 

 

 

夢みらい工房さんからクラウドファンディングのお礼が届きました!

 

会津若松市にある「夢みらい工房」さんから

クラウドファンディングのお礼の品が届きました。

 

この工房さんは、裁縫技術が優れた

知的障害を抱えた青年が

周囲の協力を得ながら

会津木綿を使った商品を縫製・販売されていて

 

現在は一人だけの作業ですが

将来は、知的障害を持ちながらも

裁縫技術が優れた人たちが

一緒に作業ができるようにと。

がんばっていらっしゃいます。

 

この度、青年が障害者の祭典である

「全国アビリンピック」への出場が決まり

練習のために工業ミシンを購入したいと。

その資金を一口協力させていただきました。

 

お礼に届いた会津木綿のふくさです↓

 

あけるとこんな気遣いが! 

 

嬉しくて心がほかほかしてきました。

 

うちの息子と同じ名前の

箱岩和樹くん!

夢に向かって一歩!前進してください

応援しています☆

 

いざ、世界へ!レディーフォーの支援サイトページ

夢みらい工房さんFBページ

夢みらい工房さんの作品一覧

 

歌丸師匠が羨ましいです

多くの落語ファン

そして落語会の多くの後輩から惜しまれて逝かれた

桂歌丸師匠。

 

人生後半は病との闘いだったとはいえ

最後まで意識が明朗であったことを

人生の後輩として羨ましく思います。

 

ずっとずっと昔。

私が埼玉県熊谷市にある女子高校に通っていた頃。

 

校外活動だったのでしょうか。

それとも落語が好きな先生がいたのでしょうか。

落語家の方をお招きして噺を聞く機会がありました。

 

女子高生といえば、

箸がころげても可笑しい年頃。

 

学校の裏手にあった熊谷会館で私たちは

落語家さんのひと言ひと言に

笑い転げた記憶があります。

 

その中に、若き日の歌丸さんもいらっしゃいました。

 

噺の合間に、我が熊谷市を称して

「田舎」「田舎」と何度か言った。

それをかすかに覚えています。

 

実際「田舎」ですから

私たちはなんとも思わなかったのですけど

高座終了後に先生達が
「なにが『田舎だ』」と

たいそう立腹していたことも

なぜか覚えています。

 

男女共学が進んだ今も

女子校をつらぬいている我が母校ですが

そんな母校を先生達も誇りに思っていたのかな

…とは、若き日にも感じていました。

 

桂歌丸さんというと、そんな思い出が

反射的に思い浮かびます。

 

とはいえ、一人の人生の先輩として

この方のように惜しまれつつ

人生を終わりたいな。

憧れの逝き方ですよね。

 

合掌。

 

 

 

2018年7月大雨・水害に関する災害支援・遠隔地にいる私たちにできること 2.

先般投稿したブログのその後のご報告です。

 

カード決済ができる寄付先として

東日本大震災直後から

復興支援団体の会合などでご一緒させていただいた 

 

ジャパンプラットフォームさんに

寄付させていただきました。

 

職員のYさまとは直接お話ししたことはありませんが

復興支援のあり方の会議で講師をされたり

福島県内で避難区域に指定された地域の

住民の話し合いの場にも出ていたことを

知っていたからです。

 

寄付する際に、その理由も書いたところ

担当者の方からそのお礼と

福島県の支援にいらしたYさんが

現在、西日本豪雨の被災現地に入っていることを

教えていただきました。

 

また、ここ福島でも西日本の方々への

ご支援の動きがはじまっています。

 

 

災害に遭われた地域のみなさまの

1日でも早い復旧と

お亡くなりになられたみなさまの

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

できること、できないこと

自分のことを知るって大事です。

 

どんなことが得意で、
なにが不得意なのか。

 

どんなことに心を惹かれ

どんなことには惹かれないのか。

 

どんな時に力を発揮できて
どんな時に発揮できないのか。

 

周りのみんながやっているからやる

のではなく、自分がやりたいからやる。

 

やりたいと思っていても
今の自分にできないと思ったら
自分にできることを考える。

あるいはできる人にお願いする。

 

自分のことを知っている人は強いです。

無理なことを言われても「ノー」と言える強さがあります。

 

かつてない西日本の水害に対して

東北に住む私にできることは

限られています。

 

むやみやたらな情報発信はやめようと思います。

だって地震・原発災害と水害は違うから。

 

だから私にできること。

寄付や後方支援に徹します。

 

そして…。

少し時間が経過したのちに

できることがあれば、知人を頼って

行きますとも。

 

みな心配しています。

けれど迷惑はかけたくないから。

 

 

 

 

2018年7月大雨・水害に関する災害支援・遠隔地にいる私たちにできること

気になってはいたものの

イベントの準備や集客

仲間が開催する勉強会の取材などに追われ

災害や事件を知る時間がありませんでした。

 

今夜、久しぶりにしっかりニュースを

見ることができ、事態の深刻さに呆然としています。

 

地震は怖い。けれど水害はもっとつらい。

 

西日本から離れた地に住む

私たちにできることとして

まずは信頼できる団体に

寄付することからはじめようと思います。

 

私個人の目安は「東日本大震災」発災時に

大変お世話になった団体です。

 

1.参考サイト

 

平成30年7月豪雨 NPOによる救援活動・ボランティア活動に関する情報【日本財団CANPAN】

 

 

 

2018年7月大雨・水害に関する参考情報・Webサイト集【日本財団CANPAN】

 

 

2.Tポイントを使ってYahoo! JAPAN に寄付することが可能です

 

災害に遭われた地域のみなさまの

1日でも早い復旧と

お亡くなりになられたみなさまの

ご冥福をお祈りいたします。