福島県在住ライターが綴る あんなこと こんなこと -2ページ目

一息ついたら、自分史のことを思い出してください。

 

5月もあと2日を残すこととなりましたね。
私はといえば、ひたすらPCに向かっていました。

 

GW中は「語り場プロジェクト」での開催リポートを、
その次は来月10日にWEB開催予定の自分史を。

 

私は文章を書くことに時間がかかるほうなので
(脳内に文章をため、そこから指先にうつすイメージw)

書き終えた今は、脳内がスカスカになったような
感じです。(あくまでもイメージですw )

 

その後は、しばらく放置状態だった
福興ライターのサイトに手を入れていました。

 

自分の実績を整理して、今までやってきたことを
3つのメニューにまとめました。

   1.自分史ブックの聞き書き
   2.インタビュー・文章作成講座
   3.自分史教室

です。

 

コロナ禍において、考える時間ができたといっても
その時間を「考える」「思い出す」ことに費やすためには
人って別のエネルギーが必要です。
少なくとも私はそういうタイプです。

 

この1カ月の作業も、実は「どうしてる?」
という励ましが、あったから向き合えました。

 

だから、今のちょっとつらいところから抜けたときに
思い出して欲しいのです。
自分史という存在を。

 

  「話す」
  「ことばにしてみる」
  「文章にしてみる」
  「小冊子にまとめてみる」

この4つをお一人でできないときには
武田を思い出してください。

 

一緒によりそわせてくださいね。

https://www.revivalwriter.jp/

悔しかった。 怒号をあげたいくらいだった。3.11

夫の勤務する会社の部署の移動により
私たちは、誰も知らないふくしまに来ました。

 

最初のうちは
夫婦揃って「都落ち」感が強く
早く埼玉に戻りたかったものです。

 

それが変化したのは
長男の通う幼稚園に寄付してくれた
野菜の土と苗が、
郡山市の若手農家さんたちから
届いたものだということを知ったとき。

 

 

なぜならば農家育ちの両親から
農家のネガティブな話を聞きながら育った私が、
ふくしまにきたことで初めて
農業に誇りを抱く人たちの存在を
知ることができたからです。

 

だから帰省のたびに郡山産、福島産の野菜や米を持参して
「ふくしまの産物」自慢をしていたというのに
あの日を境にして変わってしまいました。

 

そのあと、何も出来ない自分に落ち込み。

友人知人は県内最大の避難所に行き
炊き出しや、なにやら手伝っているというのに

私は会社が休暇になった夫と
学校が休校になった子どもたちの
食事づくりと買い出しで家を出ることができなかった私。

 

それしかできない小さな自分が情けなかった。

 

原発事故と津波災害のニュースばかり流すテレビ
地元県内の情報が
なかなか入ってこなかった。

 

だから当時お世話になっていた出版社を訪ねると
「本を出してくれ」と熱意の塊の社長がいて。

紆余曲折あって翌年本を出したとき。
私はようやく自分が「役に立てた」と実感したのです。

 

そのあとも走った。
休みなく走った。
私一人だけじゃない。
当時、私の周りの人たちはみな走っていた。

  ・
  ・

あの頃の私は、どこか
気持ちがおかしくなっていました。
(実際にメンタルの専門家の方から指摘されました)

 

今、9年前を振り返るとき
別の感情が流れてくる。

辛い経験、自分の限界、無力さ。
あと…。誤解を恐れずに言えば傲慢さも。

  ・
  ・

今春、息子たちはふくしまを離れます。

ふくしまを離れた彼らは
どんなふくしまを語るのだろう。

あと10年経ったら聞いてみたいと思います。

涙したNHKファミリーヒストリー

27日夜に放映された「ファミリーヒストリー」は

落語家 春風亭昇太さんの回でした。

 

まじめな技術者だった昇太さんの亡き父が

イラストを交えながら、

びっしり書かれた自分史の紹介のあと

前半は昇太さんの父方の歴史を

後半は母方の歴史を紹介していました。

 

その画像を見る昇太さんは

「ポイント、ポイントが今の自分の活動につながる」と

感想をもらしながらもどこか嬉しそう。

 

驚いたのは、全編を放映した後に

なぜ父が自分史を書いたのか。書くために親戚を歩き回ったのか。

その理由。

 

落語家の道に入り、順調に出世している息子を見て

「いつか息子が偉くなったときに、

自分のルーツをたどりたくなるだろう。

そのためにも正確な歴史を残しておこう」と思ったとか。

 

自分史には「自慢史」と呼ばれる側面もあり

手柄話を書き残したくなる人もいらっしゃぃます。

その中で、謙虚にまじめに生きてこられたお父様の人生と

その言葉語録も素晴らしいのですが、まさか、まさか!の結幕でした。

 

昇太さんも涙。見ている私も涙。

涙と共に自分史本来の意義を、思いを

こんなによく表している回はないなあと感動しました。

 

NHKファミリーヒストリー番組紹介

 

 

自分史執筆、聞き書きは福興ライターページを

 

【ご連絡】福興ライターのアドレスにつきまして

福興ライターのサイトにひも付けされている

メールアドレス y-create@revivalwriter.jp あてに送信したメールを

「受信できない」という出来事がときどき発生しています。

 

ただいま利用プロバイダーに問い合わせをしていますが

万が一「送信できない」という事態が生じた場合は

恐れ入りますが 問い合わせページから再度ご連絡いただくか

 

FBアカウントをお持ちでしたら

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メッセージをお願いいたします。

 

お手数をおかけいたします。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

沢木耕太郎と藤圭子。二人の会話を隣で聞いているかのような…。「流星ひとつ」

ページをめくるごとに火酒が進み

火酒が進むごとに会話が弾んでいく。

 

その様子をコタツでぬくぬくと温まりながら堪能しました。

 

「流星ひとつ」

 

かつて31歳の沢木耕太郎が

インタビューの書式をあれこれと試していた頃

ちょうど藤圭子の引退の話を聞いた。

 

圭子の歌に対する情熱と思いは

読みながらメロディーが脳裏をさまよい

またお嬢さんである宇多田ヒカルさんの声までもそこに。

 

けれど彼女はその生い立ちからなのか

男性を見る目がなかった。

その哀しさを、一方では「芸」を売る人だからと。

凡人である私が、どこかで言い訳している。

 

2時間という短い間

心が30年前にタイムスリップしました。

あの頃を振り返りたい人にはオススメの1冊。

そしてインタビューの極意を味わいたい人にも。

 

新春賀詞交歓会に出席しました

郡山商工会議所が主催する

「新春賀詞交歓会」に、今年初めて参加しました。

 

人、人、ひとでいっぱいの中、

福島県知事の挨拶、郡山市長の挨拶、

根本衆議院議員の挨拶があり乾杯の音頭へ。

 

しばらくは人混みの中に埋もれていましたが

「せっかく参加するのだから」と、思い切って前に行き

芸妓さんの舞を鑑賞し、少しだけ料理をつまみました。

 

時間が経つうちに顔見知りの方にもあえて

ほっ!としたり、おしゃべりしたり。

 

ドキドキの参加でしたが、行ってよかったと思います。

 

虎は死して皮を留め 人は死して名を残す

聞き書きという形で作成したある書籍。

そこに登場した方のご葬儀が、先日行われました。

 

享年90歳を超えるという大往生でしたが

年齢関係なく親の死は悲しいもの。

喪主であるご長男さんの涙混じりのご挨拶に

涙をそそられました。

 

故人は、その時代の一般的な人生を歩まれたお一人だと思います。

けれどご縁合って、故人の人生のごく一部を伺い

それを書籍という形にさせていただいたことで

本を手に取る方の知るところとなりました。

 

そのご縁に感謝しながら

手元に残っていた本をご遺族にお渡ししました。

大切そうな手振りで本を手に取った息子さんの表情を

私は忘れることはないでしょう。

 

【ひっぱり餅】

東北の葬儀の際に行われる習わしで

一つの餅をひっぱりっこするそうです。

 

今年もよろしくお願いいたします Yクリエイト 武田悦江

2020年がはじまり、はやくも4日が経ちました。

今年の抱負を、いくつか書きたいと思います。

 

 ・福興ライターに対する思いの変化

福島県は次のフェーズに入っています。

また「復興」という名の下に事象を書き綴る方は増えました。

 

私は福興ライターという名称はそのままに

「福島の 福を 興す 人を 言葉のチカラで応援する」

ライターとして引き続き活動していく所存です。

 

 ・自分史を福島に根付かせる

自分史は一人のものではありません。

過去を振り返り、それを検証することで

新たな思いが蘇り、ひいては未来を想像できる素晴らしいツールです。

 

これを「書くこと」のみにとどまらず、

語り合う場、もしくは事業を承継する場に

役立てていただけたらという思いをもって活動していきます。

 

2020年はオリンピックイヤーですが、そこに浮かれることなく

本来の自分自身を見つめ、そこから未来を創造し、

切磋琢磨される方のお力になれたらと。

そんな思いの新年でした。

 

みなさま、今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

 

▼いよいよ今週末に開催されます!

「私たちのターニングポイント」
宗方和子さんの人生ストーリー!
https://www.facebook.com/events/444490299514651/

 

私が初めて宗方さんにお会いしたのは
長男の育児中でした。

 

幼稚園、保育所、JA、はたけんぼなど
いろいろな施設に出向いては
「おにぎりの歌」を歌っていた 
故佐藤三郎さんの追っかけをしていたことがありました。

 

郡山に来て、まだ3-4年目だったでしょうか。
佐藤さんのことなど全く存じ上げず
ましてや「けるぷ農場」のことも知らなかった。

 

そのさぶろうさんがラジオ番組を担当する!と聞き
なんと!ご自宅にお邪魔した。
その時が宗方さんとの初対面だったと思います。

 

さぶろうさんが出演されるイベントでは
必ず司会をされていました。

「さぶろうラジオ」と
「さぶろうラジオ」の冒頭は必ず
宗方さんの声ではじまりました。


柔らかく、優しい声。

お会いする方には、どんな方にも
深く、そしてきれいなお辞儀をされる方。

   ・
   ・

少しずつ私に書く仕事が増え
子どもたちの成長と共に
さぶろうさんとの接点も少なくなり
そして震災が起きて、宗方さんとの接点も薄くなりました。

 

今回、聞き手をされる
久保田 彩乃 (Ayano Kubota) さんが
「宗方さんをお招きしようかと思います」と
お話されたとき、

なんとも言えない懐かしさを覚えました。


と同時に少しばかりの恥ずかしさも。

だって私は宗方さんのことを
何一つ知らないからです。

   ・
   ・

考えてみてください。
司会者、MCという職業の方は
自分が黒子にまわり、ゲストや参加者を盛り上げる立場です。

 

そういう職業の方の人生、プライベートを
お聞きしたことが、私たちはあるでしょうか。

 

  ●なぜMCの仕事につかれたのか
  ●なぜその仕事を長く続けられているのか
  ●なぜ子育てに関する講演活動をされているのか

 

今回、市・教育委員会のご好意で
通常の語り場と場所を変え、
大きなフロアをお借りすることができました。

 

よって、まだまだ会場のキャパは
十分すぎるほどあります。

 

  ●宗方さんの人生とターニングポイントを聞きたい方
  ●宗方さんの人生を通して自分の人生を振り返りたい方
 
なによりも「宗方さんに会いたい!」
というたくさんの方のご参加をお待ちしています。

 ↓ 

当日、中央公民館でお会いしましょう!
https://www.facebook.com/events/444490299514651/

 

11/22開催予定 私たちのターニングポイント―伝えたいものがあるんだ!―

「語る自分史」を昨年からゆるゆるとはじめています。

その7回目のイベントを、

11月22日(金)に郡山市中央公民館で開催します。

 

 


フリーアナウンサー・ラジオパーソナリティーの
宗方和子さんをゲストにお招きし、

宗方さんの人生とそのターニングポイントを伺います。

宗方さんは現在、テレビやラジオだけでなく、
数々の式典やイベントで司会やコーディネーターを務めています。

「声のお仕事」を長年続けている
宗方さんの人生のターニングポイントを伺いながら、

参加者のみなさんにも
「30秒でできるお相手紹介」を楽しく体験して頂きます。
一緒に「対話上手」を目指しましょう♪

   ↓  ↓  ↓

開催日 2019年11月22日(金)
開催場所 郡山市中央公民館 3階 第8、第9講義室
定員 60名
※広いお部屋をお借りして、定員もチラシより増えました!

参加費 1,000円

◆プログラム◆
(開場:18:00)
第1部 18:30 ~19:10 宗方和子さんの人生ストーリー
第2部 19:20 ~20:30 ・「おはなしのタネ」をつくろう
・30秒でお相手紹介!

参加方法:イベントページに「参加する」をクリックしてください。